YNUプラウド卒業生文庫 森久保 仙太郎
森久保 仙太郎(もりくぼ せんたろう)
森久保仙太郎氏は、教育者(森久保 仙太郎)、歌人(森 比左志)、児童文学作家・翻訳家(もり ひさし)、と三つの顔を持ち、2018年に101歳で亡くなるまで旺盛に活動をされた。
経歴
1917年 | 神奈川県津久井郡日連村字杉で生まれる。(現在は町村合併で相模原市緑区) |
1937年3月 | 神奈川師範学校卒業 師範学校卒業後、短期現役兵として軍隊へ。5ヶ月で伍長になって退役 |
1937年9月 | 横浜市立保土ヶ谷小学校勤務 戦争の激化により郷里に戻り、地元の小学校に赴任。教鞭を執っていた森久保氏のもとに、再び召集令状が届き、甲府の陸軍歩兵49連隊へ入隊。 |
1940年 | 北原白秋門下の歌人・筏井嘉一の歌集『荒栲』に感銘を受け、筏井主宰の歌誌『蒼生』に入会。歌人として作家活動を始める。後に『創生短歌会』代表を務める。 |
1945年 | 千葉で終戦を迎え、郷里に戻り、津久井郡小渕小学校勤務 |
1950年 | 日本を代表する歌人である宮柊二の呼びかけで歌人たちが集った「泥の会」に参加。 |
1950年4月~1967年3月 | 和光小学校勤務 |
1966年 | 「こぐま社」の設立に関わる |
1973年10月~1978年10月 | 横浜国立大学講師(教育情報学) |
1975年~1985年 | 日本女子大学非常勤講師(幼年文学) |
1979年9月11日~1979年10月31日、1981年3月3日~1985年3月2日 | 東京都中野区教育委員 |
1984年~1991年 | 共栄学園短期大学教授(生活学科 児童学専門) |
2018年11月9日 | 心筋梗塞で他界 |
業績
「主な受賞歴」
・1971年 第18回産経児童出版文化賞受賞
「ちいさなきいろいかさ」(絵/にしまきかやこ)
・1984年第31回産経児童出版文化賞受賞
「くまのアーネストおじさん 既刊3冊」(作/ガブリエル・バンサン)
・1998年第44回産経児童出版文化賞ニッポン放送賞受賞
「おてがみです あるゆうびんやさんのおはなし」(作/ガブリエル・バンサン)
・2009年 日本歌人クラブ東京ブロック優良歌集賞受賞 歌集「月の谷」
「教育関係の主な著書」(森久保 仙太郎)
・『創作する子どもたち』(教育実践文庫)明治図書出版 1953
・『夏休みの計画 ぼくらはこうやった』(生活と学習のくふう)秋田書店 1956
・『みんなの意見・わたしの意見』(小学生社会科文庫)明治図書出版 1956
・『読書指導99の相談』(教師のための相談選書)明治図書出版 1957
・『ママ、知らないの?新しい家庭教育像』誠文社新光堂 1965
・『母と子の作文教室』(よつば新書)文化出版局 1976
「歌集」 (森 比左志)
・背なかの歌 1971年
・清子抄 1974年
・地上茎 1987年
・冬木立 1997年
・月の谷 2007年
「主な創作絵本」(もり ひさし)
・『ねこのコックさん』(ロンパールームの本)まつしまわきこ絵 1967
・『くまさぶろう』湯浅誠一絵 こぐま社 1967
・『こぐまちゃんえほん』シリーズ 全15冊 わかやまけん絵 こぐま社
・『オレンジいろのさかな』長新太絵 講談社 1973
・『ありがとうくまさん』(こどものくに傑作絵本)安井淡絵 金の星社 1976
・『バナナのかわですべったら』西川おさむ絵 金の星社 1976
・『やぎさんのひっこし』佐野洋子絵 こぐま社 1976
・『みずいろのながぐつ』にしまきかやこ絵 金の星社 1977
「主な翻訳絵本」(もり ひさし)
・エリック・カール作・絵 『はらぺこあおむし』 偕成社 1976
・エリック・カール作・絵 『たんじょうびのふしぎなてがみ』 偕成社 1978
・ガブリエル・バンサン『くまのアーネストおじさん』シリーズ ブックローン出版
・ガブリエル・バンサン『ねえこっちむいて』ブックローン出版 1984
・エリック・カール作・絵 『パパお月さまとって!』偕成社 1986
・ガブリエル・バンサン『ちっちゃなサンタさん』 ブックローン出版 1994
・エリック・カール作・絵 『月ようびはなにたべる?アメリカのわらべうた』偕成社 1994
「和光小学校で総合学習を実践」
東京教育大学が先陣を切って立ち上げた新しい教育を研究する団体の日本生活教育連盟の実験校に選ばれた和光小学校に勤務することになった森久保氏が試みたのが「総合学習」であった。一つの教科を越えて、あらゆる教科の勉強が総合的にできる学習は評判になり、全国の学校から教員が視察に訪れた。総合学習以外にも、ユニークな課外授業をさまざま考案した。五感で触れたものを言葉で表現する楽しさを子どもたちに味わわせることを通して、子どもの豊かな個性を育んだ。
「こぐまちゃんえほん」シリーズの誕生
1966年 佐藤 英和氏が「こぐま社」を創業した。この時のブレーンが児童文学作家もり ひさし氏と児童劇の脚本家でもある和田 義臣氏であった。佐藤 英和氏は、もり氏と和田氏に「日本の子どもがはじめて出合う絵本」を作りたいと伝え、デザイナーで画家の若山憲氏に絵を依頼した。若山氏が描いた絵コンテを何度も机に並べ直してお話の展開が決まると、もり氏は、絵を見て、聞いている子どもの耳に心地よく届くことばとして文章を考えた。「集団制作」という異色のスタイルで取り組み、生まれたのが「こぐまちゃんえほん」シリーズである。こぐまちゃんえほんシリーズは、2020年10月末現在で10,287,300部発行されている。
「はらぺこあおむし」の誕生
1969年にアメリカで刊行されたエリック・カールの原題「The Very Hungry Caterpillar」の初版本に日本の偕成社が尽力した経緯から偕成社の日本語版を担当する編集者がもりの創作絵本にほれこみ日本語版の訳者を依頼してきた。作者エリック・カールは戦時下のドイツで少年時代を過ごしており、もりも過酷な戦争体験を胸に秘めてきた。それ故平和を祈り、生きる希望を子どもたちに伝えたいという願いが二人の中で響き合い、1976年 歯切れのいい日本語の訳を添えた「はらぺこあおむし」が誕生した。日本語版は累計400万部以上にのぼる。