岸田 勝彦(きしだ かつひこ)

1941年11月19日 -

自動演奏ピアノとサイレントピアノを世界的なヒット商品に。ヤマハブランド力の向上に多大な貢献

経歴

1941年11月19日  福岡県生まれ
1966年 横浜国立大学経済学部卒業
1966年 日本楽器製造株式会社 総務部入社
1972年 日本楽器製造株式会社 労務課長
1977年 日本楽器製造株式会社 厚生課長兼務                          
1985年 日本楽器製造株式会社 資材部長
1987年

日本楽器製造株式会社 ピアノ事業本部副本部長兼管理部長

(同年10月に創業100周年により、ヤマハ株式会社に社名変更)

1992年 ヤマハ株式会社 ピアノ事業本部長
1994年 ヤマハ株式会社 取締役
1996年 中小企業診断士(工鉱業部門)合格
1998年 ヤマハ株式会社 常務取締役
1999年 ヤマハ株式会社 楽器事業本部長
2000年 ヤマハ株式会社 専務取締役
2004年 ヤマハ株式会社 代表取締役会長
2007年 ヤマハ株式会社 特別顧問

主な受章・受賞歴等

2021年 浜松市スポーツ協会スポーツ功労章

2021年 浜松市市勢功労者

過去の主な現職

2004年 ヤマハ硬式野球部顧問(都市対抗野球出場)

2007年 静岡富丘会会長

2008年~2020年 (公財)浜松市体育協会会長

2010年 鍵盤楽器公正取引協議会顧問

2011年~2019年 静岡県人事委員会委員

2013年~2019年 ヤマハOB連合会会長

業績

○ヤマハでの活躍
 入社試験でトップレベルの成績残し入社。総務部人事課労務係に配属され、新たな人材育成システムを導入。岸田氏が行った「経営ニーズと従業員ニーズの両立型小集団活動」は専門家にも評価され、新聞や雑誌にも取り上げられて全国的に注目される活動となった。
その後、実績が評価され、30歳で本社労務課長に就任。中堅優良企業の最年少課長として話題となった。社長交代後も、トップからの期待は熱く、厚生課長職の兼務を任じられた。当時の社長河島博氏から労働災害件数の低減についての勅命を受け、合理的な改善計画の下、適時適切に有効な対策を続けた結果、5~6年で全国トップクラスの安全衛生レベルを達成した。

 1987年、当時社長だった川上浩氏からピアノ事業本部副本部長兼管理部長の辞令が発令され、赤字に転落した事業本部の経営改善を任じられた。岸田氏は数年前に開発された新ジャンルの商品である自動演奏ピアノに注目。アメリカ人好みの商品であると分析し、米国向けの輸出を開始するという方向性を打ち出した。
当時、品質管理に問題が生じていた英国の工場については自らが「経営改善プロジェクト」のリーダーとなり、工程改善、品質管理を強力に進めた。
その結果、英国の工場は市場からの評価も高まり赤字経営から脱却、優良企業へと変身を遂げ、英国政府から輸出貢献企業としてクイーンズアワード(女王賞)を受賞した。

 その後、岸田氏は「サイレントピアノ」の開発に力を注いだ。サイレントピアノとは通常の演奏モードと消音モードを切り替えられるピアノであり、当時の専務からは厳しい評価だった。しかし、「市場調査の結果を見て販売するか否かの判断をする」と推し進めた結果、試作品への評価は岸田氏の想像すら上回るものであった。
 その後も発売当初から大きな注目を集め、順調に売り上げを伸ばし、ヒット商品となってヤマハブランド力の向上に大きな役割を果たした。

主な著書

・「人間万事塞翁が馬:やんちゃなサラリーマン回想録」文藝春秋企画出版部, 2021年


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