蛭田 史郎(ひるた しろう)

1941年12月20日 -

旭化成株式会社社長、オリンパス株式会社取締役としてグローバル展開・組織改革に尽力。両社復活の立役者

経歴

1941年12月20日福島県いわき市で生まれる
1964年横浜国立大学工学部応用化学科卒業
1964年旭化成工業株式会社(現:旭化成株式会社)入社
1997年旭化成株式会社 取締役
1999年旭化成株式会社 常務取締役
2001年旭化成株式会社 専務取締役
2002年旭化成株式会社 取締役副社長
2003年旭化成株式会社 代表取締役社長
2010年旭化成株式会社 取締役最高顧問
2011年株式会社日本経済新聞社 監査役
2012年オリンパス株式会社 取締役
2013年旭化成株式会社 常任相談役
2015年オリオン電機株式会社 取締役
2016年オリンパス株式会社 相談役
2016年立命館大学大学院経営管理研究科客員教授
2016年旭化成株式会社 相談役
2019年株式会社ニコン 社外取締役
2020年株式会社ニコン 社外取締役 監査等委員
2024年株式会社ニコン 社外取締役 取締役会議長

主な役職

2004年~2006年 石油化学工業協会会長
2004年~2010年 国立大学法人横浜国立大学経営協議会委員
2005年~2007年 一般社団法人日本経済団体連合会教育問題委員会共同委員長
2006年~2008年 一般社団法人日本化学工業協会会長
2016年~     一般社団法人技術同友会代表理事・代表幹事
2019年~2021年 横浜国立大学校友会会長
2020年~     蛭田経営研究所代表
2020年~     株式会社創発ホールディングス気付顧問

業績

 蛭田氏は、旭化成工業株式会社(現在の旭化成株式会社)に入社後、エンジニアリング樹脂工場長、レオナ工場長、エレクトロニクス事業部門長、経営戦略担当役員などを務めた後、取締役、常務取締役、専務取締役、取締役副社長、代表取締役社長、取締役最高顧問を歴任された。
 同社社長在任中には、戦略的な重点事業拡大とキャッシュフローの増大という経営指標を明確化し、赤字事業も抱えていた同社において、全7事業の黒字化を達成。グローバルNo.1事業をほとんど持っていなかった同社だったが、蛭田氏の改革により、グローバルNo.1事業の収益を引き上げた結果、営業利益の半分をグローバルNo.1またはNo.2の事業から生み出す組織に変貌を遂げた。また、ポートフォリオ転換にも注力し、事業撤退判断の明確化と時代錯誤分野の構造転換により新事業を生み出した。
 10年かけてトップシェアを獲得した分野において、更なる拡大を目指す声が上がった中でも、蛭田氏は、国際価格と国内価格の差に着目し、赤字転落を予測して警鐘を鳴らすなど、冷静沈着かつ「グローバルな視野」を常に持ち続けながら経営のタクトを振るった。
 組織体制においても、マーケティングと技術を併せ持つ組織づくりを進め、縦割り型ではなく、内部交流が活発に行われる体制を構築するとともに外部交流も促進。組織の下部から新規事業案を出しやすい環境づくりを心がけるなど、強靭な組織体制を醸成した。
 こうした改革を推し進め、同社の業績を飛躍的に発展させるとともに、石油化学工業協会会長などの要職を歴任。同社のみならず、日本の化学工業の発展にも大きく貢献した。
 また、リチウムイオン電池を研究していた同社所属の吉野彰博士の研究成果を生かして、電池材料の事業化を進め、吉野研究室の命名やフェローの称号を授け、吉野博士のノーベル化学賞受賞の足掛かりを築いた。
 こうした実績を買われ、社長を退任後は、経営危機に陥ったオリンパス株式会社の取締役議長を務め、再建団の中心として同社の再建とその後の発展に導き、その後、ニコン株式会社の社外取締役として取締役会議長を務め、同社のグローバル展開を推進している。
 母校の横浜国立大学においても、経営協議会委員や校友会会長などを務める傍ら、同窓会等の複数の講演会に登壇し、大好評を博したほか、2021年に開催された「工学部100周年記念特別講演」に際し、コロナ禍における吉野博士の来学と対面での講演を実現させた。加えて、横浜国立大学に多額の寄付を行い、次世代人財の育成にも大きく貢献している。


ページの先頭へ