畑中 誠(はたなか まこと)

1945年07月02日 -

東京建物株式会社社長として不動産業界の発展に多大な貢献。不動産証券化事業に尽力

経歴

1945年7月2日疎開先・滋賀県長浜市で生まれる
1958年東京都台東区立富士小学校卒業
1958年私立開成学園中学校入学
1964年私立開成学園高等学校卒業
1969年横浜国立大学経済学部卒業
1969年東京建物株式会社 入社
1995年東京建物株式会社 取締役企画部長
1999年東京建物株式会社 常務取締役企画部長兼国際事業室長
2003年東京建物株式会社 代表取締役専務
2006年東京建物株式会社 代表取締役社長
2012年東京建物株式会社 取締役会長
2016年東京建物株式会社 相談役
2020年東京建物株式会社 特別顧問(現職)

主な役職

1995年~2006年 富丘会都市開発部会会長
2012年~2016年 一般社団法人不動産協会副会長
2012年~2016年 一般社団法人日本ビルヂング協会連合会副会長
2016年~     一般社団法人不動産協会顧問(現職)

主な受章・受賞歴等

2018年 国土交通大臣表彰
2021年 旭日中綬章(不動産業振興功労)

業績

 畑中氏は、大手総合不動産会社である東京建物株式会社に入社し、その後、代表取締役専務、代表取締役社長、取締役会長、相談役、特別顧問などを歴任。同社の不動産事業の復活と拡大のみならず、我が国の不動産業界の発展に多大な貢献をされた。
 バブル崩壊後に、出向先の不動産販売子会社において、マンション価格の暴落によって売れ残った大量在庫に直面したものの、力関係で勝る開発部との議論を重ね、販売現場における顧客需要の重要性を強調し、コミュニケーションを密に取り合いながら大量在庫を急減させることに成功した。
1995年の本社取締役企画部長就任後に、法制化されたばかりの仕組みである不動産証券化に注目し、東京都港区の外国人向けサービスアパートメントにて第一号登録を取得した。この不動産証券化事業への取り組みが同社複合再開発の先駆けとなり、東京都墨田区における「olinas錦糸町」などのプロジェクト開発につながった。
 不動産証券化事業により、プロジェクト開発が生み出す収益力を基に不動産証券化による資金調達を行い、少ない自己資金での巨額の再開発を可能にし、有利子負債の増加を抑制することで、良好な財務体質の維持を図るサイクルを確立させた。これが我が国の不動産証券化の本格的な幕開けとなり、関係多方面より高く評価され、後のJ-REIT開始の契機となった。
同社による大型再開発事業を見据えた証券化事業の取組は、東京・中野の「中野セントラルパーク」、東京・京橋の「東京スクエアガーデン」、東京・大手町の「大手町タワー」などの大規模オフィスビルの開発や、官民協働の日本最大級PFI(民間による社会資本整備)事業である「霞ヶ関コモンゲート」の開発にも繋がった。
 これらの大型プロジェクト竣工もあり、畑中氏が同社社長を務めた際、平均売上高がそれ以前の1.5倍に増加し、同社の資産ポートフォリオは中規模ビル中心から、競争力の高い大型プロジェクトへ大きく変わるなど、以後の同社の業績拡大に大きく貢献することとなった。
 また、畑中氏は一般社団法人不動産協会副理事長、一般社団法人日本ビルヂング協会連合会副会長などの不動産業界の要職も歴任した。
 2018年には、永年の不動産業に対する多大な功績により、国土交通大臣表彰を受賞し、2021年には春の叙勲で旭日中綬章を受章した。

手掛けた主な大型再開発事業              

  • olinas錦糸町    (東京都墨田区太平)   2006年竣工
  • 霞ヶ関コモンゲート (東京都千代田区霞が関)2007年竣工
  • 中野セントラルパーク(東京都中野区中野)  2012年竣工
  • 東京スクエアガーデン(東京都中央区京橋)  2013年竣工
  • 関西プロジェクト:「グランフロント大阪」通称・大阪駅北ヤード(大阪府大阪市北区)2013年竣工
  • 大手町タワー    (東京都中央区大手町) 2014年竣工

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