YNUプラウド卒業生文庫 桜井 眞一郎
桜井 眞一郎(さくらい しんいちろう)
1929年04月03日 - 2011年01月17日
経歴
横浜国立大学名教就美会提供
1929年 | 4月3日 神奈川県横浜市戸塚に出生 |
1951年 | 横浜工業専門学校(横浜国立大学の前身校の一つ) 機械工学部卒業 |
清水建設入社(機械部配属) | |
1952年 | たま自動車工業(プリンス自動車工業の前身)入社 (技術課配属(シャシー設計担当)) |
1963年 | プリンス自動車工業 乗用車部 車両設計一課課長代理 |
1964年 | 第14回自動車技術会賞「技術賞」受賞 |
1966年 | (日産自動車とプリンス自動車工業が合併) |
日産自動車プリンス事業部第一車両技術部 第二車両設計課課長代理 | |
1968年 | 第四設計部 第二車両設計課 課長 |
1976年 | 第三車両設計部 次長 |
1980年 | 商品開発室 主管担当員(部長待遇) |
毎日デザイン賞受賞 | |
1984年 | 商品開発室 車両開発統括部 部長 |
1986年 | 技術車両設計部 部長 |
オーテックジャパン代表取締役社長(初代) | |
1989年 | 大阪産業大学非常勤講師 |
1994年 | オーテックジャパン相談役 |
1995年 | エス・アンド・エスエンジニアリング代表取締役社長(初代) |
東海大学非常勤講師 | |
2005年 | 日本自動車殿堂入り |
2006年 | エス・アンド・エスホールディングス代表取締役 |
2008年 | レンツ・エンパイアメンタル・リソーシズ取締役会長 |
2010年 | エス・アンド・エスエンジニアリング取締役会長 |
2011年 | 1月17日 逝去(81才) |
業績
清水建設時代
- バッチャープラント(工事現場で正確にセメントと砂利、水を調合し、ミキサーで混ぜ合わせてコンクリートを作る機械)とコンクリートミキサー車(プラントが設置できない狭い場所に、離れた場所のバッチャープラントから生コンクリートを運ぶ車)を日本で最初に開発した。
プリンス自動車工業、日産自動車時代
- 1957年発売の初代スカイラインの開発に携わり、以降2代目(1963年)から7代目(1985年)までのスカイラインの開発責任者であった。
- 3代目スカイラインの時に、トランクオープナーを開発。他にも、4灯式ヘッドライト、リヤワイパー、テンパータイヤ、ダイバーシティ・アンテナ等、今なら当たり前の自動車装備を開発した。
- 日本初の本格的な高速レーシングカーR380等を開発した。
オーテックジャパン時代
スカイラインやシルビア等の独自チューン、オーテック・ザガード・ステルビオなどの開発で注目を集めた。
エス・アンド・エスエンジニアリング時代
ディーゼルエンジンNOx(窒素酸化物)・PM(粒子状物質)低減技術による排気ガス低減装置を商品化した。これが国土交通省認定の第1号となったデュエットバーンシステムである。
賞歴
第14回自動車技術協会「技術賞」を受賞(1964年)
受賞対象: 自動車の給油期間の延長の実用化
自動車技術会賞とは、「自動車工学及び自動車技術の向上発展を奨励すること」を目的として1951年に創設されたもの。創設以来、自動車技術分野の代表的な賞として常に注目を集め、受賞者の功績は非常に高い評価を得ている。
第26回毎日デザイン賞を受賞(1980年)
受賞対象: スカイラインGTのトータルデザイン
毎日デザイン賞とは、その1年間に優れた作品を制作し、業界に大きく寄与したデザイナーやグループまたは団体を顕彰するために、1955年に創設された毎日新聞主催のデザイン賞。1975年までの名称は毎日産業デザイン賞。
日本自動車殿堂入り(殿堂者)(2005年)
日本自動車殿堂とは、英文名をCommittee of Japan Automotive Hall of Fame、略称を JAHFA(ジャファ)という特定非営利活動法人である。自動車工学者で元芝浦工業大学学長の小口泰平氏が呼びかけ、学識経験者や自動車評論家を中心とする理事・会員約20名、ノーベル賞受賞者の江崎玲於奈氏ら顧問約10名で2001年に発足した。
日本における自動車産業・学術・文化などの発展に寄与し、豊かな自動車社会の構築に貢献した人々の偉業を讃え、殿堂入りとして顕彰し、永く後世に伝承していくことを主な活動としている。