YNUプラウド卒業生文庫 大根田 とおる
大根田 とおる(おおねだ とおる)
経歴
1933年 | 東京都杉並区高円寺に生まれる |
1952年 | 栃木県立真岡高等学校卒業 |
1956年 | 横浜国立大学工学部入学 |
1956年 | 学生歌「みはるかす」作曲 |
1962年 | 横浜国立大学工学部機械工学科卒業 |
1962年 | 精工舎(現セイコーホールディングス)入社 時計やプリンターの生産技術部門を担当 目覚まし時計のメロディの編曲も手掛ける |
1985年 | 精工舎の子会社社長 |
1993年 | 定年退職 |
2008年9月8日 | 学生歌として現在に至るまで在校生・卒業生に親しまれていることに対して、大学として謝意を表すため飯田学長から「感謝状」が授与された。 |
学生歌「みはるかす」を作曲した頃
子どもの頃からクラッシック音楽が大好きで、中学・高校ではピアノとバイオリンのレッスンを受けました。
「大学に入ったらオーケストラに入りたい」と思っていたのですが、当時、横浜国立大学にはオーケストラがなかったのです。急いで楽器経験のある仲間2,3人と相談して、オーケストラを立ち上げました。 最終的には30~40人のメンバーが集まってくれて、初代部長兼指揮者として打ち込みました。
そんな時に、「大学の行事の際に歌う学生歌を持ちたい」と、学生自治会から作曲公募が学生自治会新聞に発表されました。賞金は3,000円。当時1か月の授業料が750円の時代でしたから、学生にとっては相当の大金です。 寮の仲間からその話を聞き、自治会が選定した作曲用の詩の一つを見てみたのです。
すると次々とメロディーが浮かんで来て、大体20分くらいでしょうか、曲ができましたので応募しました。 ひと息で書きあげたのが当選して、学生歌「みはるかす」となりました。
当選の知らせを聞いて寮の仲間は大喜び、「酒にありつける」「お祝いだ、お祝いだ」と金沢文庫の駅前でおごらされて、賞金は当選発表の夜に全部使い果たしてしまいました。
卒業後は、世界最先端の精密工学に携われるということで、「セイコー」に就職。音楽は一生の趣味となりました。
以上「ヨコマガ」54号(2013年)からの抜粋
加藤さんの「みはるかす」を選んだのは、作詞が日本人に馴染みの五七調で出来ていて歌い易い上に、内容が気宇壮大であり、また、時代が変わっても流行に左右されない語彙を駆使していたからです。
一過性の内容のものであったら、この種の歌に採用することはできません。 この詩だといつの時代でも古臭いとか言葉がなくなってしまうということはないなと思いました。
作曲の応募が数編あったということを、学寮の友人が知らせてくれました。
昭和31年(1956年)11月3日、工学部の講堂で作曲の結果発表会がありました。文化の日だったので記憶に残っています。
そのとき、加藤さんはお見えにならなかったんです。 作曲の発表だからということで、加藤さんには連絡がなかったということを後で聞きました。
発表会のとき、混声合唱団が歌ってくれたのが最初です。 私は、学生さんが簡単に歌えるようにということを第一に考えて作りましたから、学生さんが、ごく簡単に「さらさら」と歌ってくれたのを聴いて、「これは、よかった」安心しました。