YNUプラウド卒業生文庫 相澤 益男
相澤 益男(あいざわ ますお)
略歴
1942年8月31日 | 横浜市に生まれる |
1966年 | 横浜国立大学工学部電気化学科 卒業 |
1971年 | 東京工業大学大学院理工学研究科博士課程修了、工学博士 |
1971年 | 東京工業大学 助手 |
1974年~1975年 | 米国リーハイ大学 博士研究員 |
1980年 | 筑波大学 助教授 |
1986年 | 東京工業大学 教授 |
1994年~1996年、1998年~2000年 | 東京工業大学 生命理工学部長 |
1996年 | 国際化学センサ賞 |
1997年 | 日本化学会賞 |
2000年~2001年 | 東京工業大学 副学長 |
2001年~2004年 | 東京工業大学 学長 |
2003年 | Outstanding Award of Electrochemical Society |
2003年 | 日本学術会議会員 |
2004年~2007年 | 国立大学法人東京工業大学 学長 |
2004年 | 電気化学会 会長 |
2004年 | 文部科学省 大学設置・学校法人審議会 会長 |
2005年 | 文部科学省 中央教育審議会委員・大学分科会 会長 |
2005年 | 日本化学会副会長 |
2005年 | 国立大学協会会長 |
2006年 | 紫綬褒章 |
2007年~2013年 | 内閣府 総合科学技術会議 議員(常勤) |
2007年~2013年 | 内閣官房 知的財産戦略本部 本部員 |
2007年 | 東京工業大学 名誉教授 (現在に至る) |
2008年 | Int. Soc. Bioluminescence and Chemiluminescence 会長 |
2013年 | 国立研究開発法人科学技術振興機構 顧問(現在に至る) |
2015年 | 公益財団法人科学技術国際交流センター 会長(現在に至る) |
2021年 | 叙勲 瑞宝重光章 |
業績
主な著作
- 電気化学測定法(藤嶋昭、相澤益男、井上徹 共著、技報堂出版、1984年)
- 光のはなし(藤嶋昭、相澤益男 共著、技報堂出版、1986年)
- 創造する機械 ナノテクノロジー(K. エリック ドレクスラー著、相澤益男 訳、パーソナルメデイア、1992年)
- バイオセンサのおはなし(日本規格協会、1993年)
- Molecular Interfacing for Protein Molecular Devices and Neurodevices, IEEE Eng. Med. Mol., Feb/Mar, 94-102 (1994)
- バイオ分子素子研究の現状と将来 応用物理、64, 974-984 (1995)
- Electrically Stimulated Modulation of Cellular Function in Proliferation, Differentiation, and Gene Differentiation, Electrochemistry, 67, 118 (1999)
- 大学進化論 世界に開かれた東京工業大学の改革(日経BP、2008年)
- 未来の創造 人類の健康と繁栄に向かって(日経BP、2016年)
「生物に学ぶという発想」で新研究分野を切り拓く
1966年、横浜国立大学工学部電気化学科を卒業し、東京工業大学大学院に進学。当時は「分子と情報のバイオ時代」の幕開けであり、新しい観点で生物に学ぶという発想の研究が始まろうとしていた。その先陣を切って、電気化学を基盤に異分野の融合により、「生物電気化学」、「バイオエレクトロニクス」といった新分野の開拓に挑んだ。生物は汲めども尽きぬ創造の源泉である。「生物電池」、「バイオセンサ」、「バイオ素子」などの独創的なアイデイアを次々と創出しつつ、国際的パイオニアとして新分野の展開を牽引することになった。さらに、こうした研究の途上、細胞の増殖、分化などの機能が電気刺激により様々に変動することを発見し、生命情報ネットワークと電気の相互作用に迫り、生物機能の制御に新しい道を拓いた。
1980年代後半には、産業界も生物に学ぶという発想に関心を寄せるようになり、次世代技術で未来を切り拓くことを目指した、大型の国家プロジェクトが組織化された。一つは、生物の情報処理機能に学びこれを工学的に実現する「バイオ素子研究開発」、もう一つは、生物に学び賢く機能する夢の材料に挑戦する「インテリジェント材料」である。国内外の関心が高まる中、これらの野心的なプロジェクトにおいても、産・学・官の連携による組織的な研究を牽引し中心的な役割を果たした。
東京工業大学長・国立大学協会長として、大学の進化を牽引
2001年、東京工業大学長に就任。知の大競争時代を迎え、日本では国立大学の法人化が急速に進む時であった。「世界最高の理工系総合大学」という高い目標を掲げ、大学を世界に開き、様々な改革に取り組んだ。2005年には、全国立大学が加盟する国立大学協会の会長という重責を担うことになり、国立大学法人化後におけるそれぞれの大学の進化を牽引することになった。「大学進化論―世界に開かれた東京工業大学の改革―」はその奮戦記である。
総合科学技術会議議員として、科学技術立国の舵取り
2007年には、科学技術の司令塔である総合科学技術会議の常勤議員に任命された。「資源は有限、創造性は無限」、「創造は未来を拓く」という強い信念を抱いて、科学技術立国の舵取りに取り組んだ。激変する世界に対峙しつつ、第3期科学技術基本計画を推進するとともに、第4期科学技術基本計画の策定に尽力。この最中に起こった東日本大震災が、我が国に根本的な変化を迫ったことは忘れ難い。日本の未来を託する思いを込めて関わったのは、世界をリードすると期待される30人の日本人研究者を強力に支援した「最先端研究開発支援プログラム(FIRST)」の創設である。