齋藤 興二(さいとう こうじ)

1931年04月 -

略歴

1931年4月  神奈川県生まれ
1957年3月  横浜国立大学経済学部経済学科卒業、岩谷産業株式会社入社
1973年1月  同社取締役就任
1979年2月  同社常務取締役就任
1985年3月  同社専務取締役就任
1985年12月  同社代表取締役社長就任
1996年7月  同社会長就任
1998年7月  同社相談役就任
2002年6月  同社相談役退任

団体・公職歴

1985年11月  東京商工会議所資源エネルギー部会常任委員
1986年1月  社団法人経済団体連合会理事
1990年3月  日中投資促進機構副会長、日本国際貿易促進協会理事
1990年5月  社団法人全国エルピーガス卸売協会副会長
1990年6月  社団法人日本貿易会常任理事
1994年5月  社団法人全国エルピーガス卸売協会会長、広東経済協力会会長
1994年7月  財団法人全国エルピーガス保安共済事業団副理事長
1994年12月  FEC国際親善協会副会長兼東京本部副本部長
1995年5月  酸素協会副会長
1996年7月  財団法人全国エルピーガス保安共済事業団理事
1996年11月  大阪商工会議所1号議員
1997年5月  社団法人全国エルピーガス卸売協会副会長
1997年6月  日本LPガス協会理事
1997年10月  日本LPガス協会政策委員
1998年4月  富丘会理事長就任
2002年4月  富丘会理事長退任

受賞歴

1992年11月  藍綬褒章受章
1993年6月  フランスCFCE褒章受章
1993年6月  大連市名誉市民表彰受賞

業績

液化水素の民生用エネルギーの未来に大きな可能性を切り拓く

1985年12月、創業者岩谷直治社長の後を受け、代表取締役社長に就任し、「強いイワタニの復活と新創業運動」を提唱した。
1986年国内初となる液化水素エンジンを搭載した「H-1ロケット試験機1号機」に燃料を供給、以降1992年まで合計9号の打ち上げに実績を残した。 1994年打ち上げられた「H-2ロケット1号機」にも純国産の液化水素の供給を行い、液化水素の民生用エネルギーの未来に大きな可能性を切り拓いた。
1987年、ガス漏れ警報機「みはり」の進化系である24時間ガス漏れ監視システム「テレセーフ」を稼動、また、世界初のポータブルガス冷蔵庫「イワタニ・ボックスクーラー」の発売を開始した。 1987年のLPガス用のヒートポンプエアコン(GHP)の発売や、1988年の国内最大級のLPガスコージェネレーション(熱電併給システム)の納入は、エネルギー効率の高いシステムとして注目された。
海外での合弁事業も開始し、1989年中国、1990年タイに合弁会社を設立した。

文化事業に貢献

1988年、「文化」や「遊」の領域で、社会的公器である企業として有意義な支援をしたいという考えから、NHK交響楽団との文化活動をスタート。各地に伝わる民謡や風土を素材に、一流の作曲家に編・作曲を委嘱し初演披露する「ふるさと交響楽」は、企業や団体の芸術・文化活動への支援を評価する「第1回メセナ大賞1991」で「メセナ賞」を受賞。 1993年には、N饗への功績を讃える「有馬賞」を民間企業として初めて授与された。

図書館での展示

齋藤興二氏展示物


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