YNUプラウド卒業生文庫 小島 寅雄
小島 寅雄(こじま とらお)
1914年03月29日 - 2002年10月26日
経歴
1914(大正3)年 3月29日 |
鎌倉郡腰越津村に生まれる |
1928(昭和3)年 4月 |
神奈川県師範学校(現在横浜国立大学)に入学 |
1934(昭和9)年 3月 |
神奈川県師範学校卒業 |
同年4月 | 鎌倉郡川上小学校訓導となる |
1935(昭和10)年 | 自由律俳句「層雲」に投稿 |
1936(昭和11)年 | 種田山頭火(1882-1940 自由律俳句で著名な俳人、当時54歳)に会う。 |
1939(昭和14)年 4月 |
川崎市立住吉小学校に転勤 |
1944(昭和19)年 | 学童疎開で大山に行く。 |
1945(昭和20)年 4月 |
藤沢小学校に転勤 |
1946(昭和21)年 4月 |
鎌倉市立小坂小学校へ転勤。学校劇脚本集(明治図書刊) |
1951(昭和26)年 4月 |
鎌倉市立小坂小学校教頭 |
1954(昭和29)年 4月 |
稲村ケ崎小学校教頭 |
1955(昭和30)年 4月 |
鎌倉市教育委員会指導主事 |
1956(昭和31)年 | 鎌倉作文の会設立、会長就任 |
1957(昭和32)年 | 樋口加六(独立美術家協会)に師事 |
1962(昭和37)年 4月 |
鎌倉市立腰越小学校長。翌年「ね・さ・よ」運動(言葉の使い方から考えようとする創造学習)を始める。 |
1966(昭和41)年 4月 |
鎌倉市立第二小学校長 |
1969(昭和44)年 4月 |
鎌倉市教育研究所長 |
同年11月 | 鎌倉市中央図書館長 |
1971(昭和46)年 1月 |
鎌倉市教育員会学校教育課長 |
同年6月 | 鎌倉市教育長に就任 |
1981(昭和56)年 11月 |
鎌倉市長に就任 |
1985(昭和60)年 10月 |
鎌倉市長退任 |
同年11月 | 鎌倉覚園寺にて得度 |
1986(昭和61)年 | 鎌倉良寛会発足 勲五等双光旭日章受章 |
1992(平成4)年 | 全国良寛会会長 |
1995(平成7)年 | 全国良寛会総会(退任まで毎年総会を開く) |
1996(平成8)年 | 鎌倉良寛会10周年記念総会 |
1997(平成9)年 | 全国良寛会総会(鎌倉建長寺において開催する) |
2002(平成14)年 | 全国良寛会会長退任・名誉会長となる。 |
同年10月26日 | 逝去(享年89歳) |
叙勲 正六位に叙する 内閣総理大臣 小泉純一郎 |
業績
著作
教職、図書館長、教育長、鎌倉市長など歴任。詩、俳句、短歌、随筆、仏画などの創作、良寛研究と多方面に活躍。関連著書多数。
- 詩集 「凡夫開眼」1948年
- 子どもと生きて 綴り方と教師の記録 1970年 創造社
- 二合庵雑記帳 1972年 創造社
- 二合庵雑記帳 鎌倉蝉しぐれ 1975年 かまくら春秋社
- ひふみよいむな 良寛私語 1979年 かまくら春秋社
- 二合庵雑記帳 お十夜の鯛焼き 1982年 かまくら春秋社
- 二合庵遊戯 1985年 かまくら春秋社
- 野仏巡礼 1986年 求龍堂
- 七十二歳 1986年
- 色は匂へど 1988年 求龍堂
- 歌集 一本杉 1990年 水書房
- 歌集 二合庵 1990年 石英文庫
- 花ひらく 1990年 清林寺
- 野の地蔵 1990年 朝日新聞社
- 随筆 赤とんぼ 1991年 水書房
- 良寛と貞心 その愛のこころ 1993年 考古堂書店
- 画文集 花と野仏 1993年 求龍堂
- あるがままに 1994年 三心堂出版
- 木もれ陽のうた 1995年 考古堂書店
- 絵本 野のほとけ 1995年 春陽堂書店
- ほうおん 1995年 清林寺
- 画文集 しぐれゆく 1996年 日貿出版
- 白隠禅師和讃 書と画 1996年 良寛研究所
- 絵本 風のほとけ 1996年 春陽堂
- 良寛のこころ 1997年 春陽堂
- わたしの良寛さま 二合庵春抄 1998年 中央公論
- 教えることは教わること 1998年 求龍堂
- 良寛幻想 詩歌集 1998年 求龍堂
- ふりむけば良寛 1998年 春秋社
- 続 あるがままに 1999年 三心堂
- 遥かなる良寛 2000年 考古堂
- 大愚 2001年 春陽堂書店
- 良寛と70年 歌集 2001年 考古堂書店
- 折り折りのことば 2002年 春陽堂書店
- やさしいお経の本 2002年 文芸春秋
- 八十八の遺言状 2002年 水書房
仏画家としても活躍
昭和32年樋口加六氏(独立美術家協会会員)に油絵の手ほどきを受け、作画を始める。このことをきっかけに創作活動を始めるようになる。石仏を彫る・仏画を描く・陶仏を焼く等
- 昭和49年 平山郁夫氏(1930-2009 日本画家)の勧めにより東京銀座セントラル美術館で展覧会開催
- 昭和52年 東京日本橋三越にて展覧会
- 昭和56年 師範学校の同期生による「楽々会」結成、鎌倉展
- 昭和60年〜63年 石川県、東京、横浜などで展覧会開催
- 平成元年〜14年
横浜高島屋、金澤画廊(石川県)、渋谷奥村画廊、
新宿栢木画廊、横浜松坂屋、鎌倉中央公民館、東京文春画廊、センター画廊、横浜有隣堂、松山等で展覧会開催。
他にも名古屋、福岡、静岡でも開催。
良寛会会長として
教職にあるときから良寛の人となりにあこがれ、研究を続けるとともに、托鉢の旅も経験。鎌倉市長を退任した後、得度し、鎌倉良寛会結成、全国良寛会会長にも押され、退任まで毎年各地で総会を開催した。良寛に関する執筆多数。講演、ラジオ、テレビ、雑誌等でも活躍。
- 平成9年 良寛詩碑落成除幕式出席のため慶祝訪中団長として中国へ
- 平成13年 在家仏教講演