鳥養 鶴雄(とりかい つるお)

1931年 -

経歴

1931年  神奈川県横浜市に出生
1953年  横浜国立大学工学部造船工学科卒業
帝国自動車工業㈱にて薄板構造設計・解析業務に従事
1956年  富士重工業㈱入社 宇都宮航空機工場技術部T-1ジェット練習機設計チーム
1959年  日本航空機製造㈱(NAMC)に出向 尾翼・尾部胴体担当係長
国プロYS-11の開発(1962年8月初飛行、1964年8月FAA型式証明取得)
1966年  同社第2技術部C-1ジェット輸送機開発室 構造設計、重量管理担当主査
1967年  富士重工業㈱復社
三菱重工業㈱派遣超音速練習機(T-2)設計チーム主・尾翼・後部胴体担当主査
1969年  富士重工業㈱復社
1970年  日本航空宇宙学会航空機設計部門委員長
1971年  富士重工業㈱第2技術部長 同社航空機製品を幅広く担当
1979年  同社航空機技術本部長
1980年  飛翔体の誘導方式に関して防衛協会賞
1982年  日本航空機開発協会技術開発部長
1984年  ボーイング社との国際共同開発事業 7J7 ,777の開発設計、YSX計画
1985年  日本航空宇宙学会理事
1989年  日本航空宇宙学会副会長
1990年  日本航空機開発協会常務理事
1992年  『飛行機の構造設計―その理論とメカニズム』を共著として刊行(日本航空技術協会)
1994年  富士エアロスペーステクノロジー社技術顧問
2000年  NHKプロジェクトX『翼は蘇った』に出演
2002年  『大空への挑戦・プロペラ機編』、『大空への挑戦・ジェット機編』を刊行
2004年  YS-11開発チームの代表として国土交通大臣表彰
2008年  第3回横浜国立大学ホームカミングデーにて講演
2016年  一般財団法人日本航空協会より航空功績賞受賞

業績

YS-11の開発

CSS

本学において造船工学科を母体に創設された航空工学科は終戦とともに消滅したが、その伝統は現在も航空宇宙関連の研究室に引き継がれており、卒業後航空宇宙分野で活躍する卒業生は多い。その中で鳥養鶴雄氏は、新制大学の造船卒業一期生として航空工学にも研鑽を積まれ、特に初の国産旅客機YS-11の開発を成功に導き、戦後の日本に夢と誇りと自信を与えました。同氏のYS-11開発に対する貢献については、展示の1994年刊行 前間孝則著「YS-11 国産機を創った男たち」(講談社)に詳述されております。また2000年にはNHKのプロジェクトX「翼は蘇った」にもご出演、熱き想いを吐露されました。なお同氏は2009年に、YS-11開発チームの代表として国土交通省大臣表彰を受けられております。

後進の育成

企業の枠を超えてオールジャパンでの開発となったYS-11のプロジェクトにおいて、本学造船工学科の卒業生である川崎重工業のT氏、新明和工業のK氏、日本飛行機のT氏らは、鳥養氏直属の部下としてその指導を受け、何れも復社後の活躍で役員に昇進し、航空工業界で横浜国立大学工学部造船工学科の存在感を世の中に示しました。これらは、勿論本人たち自身の研鑽の賜物ではありますが、鳥養氏の薫陶抜きには考えられないと思料されます。
また同氏は所属会社の要職を務められると共に各種の航空機の開発に関与されました。後年には旅客機の国際共同開発事業に参画され、その成果は今日の日本航空機産業の主流に繋がっております。併せて日本航空機開発協会や日本航空宇宙学会など学術・学会活動にも参加、長らく一線の技術者として日本の航空機技術を牽引されました。またジャーナリストとして専門誌に健筆をしたためるなど啓蒙活動も継続されております。加えて1980~1990年代には東京大学、横浜国立大学、宇都宮大学の各工学部における非常勤講師として航空機設計を講義され、後進の教育・指導に尽力されました。

ヨット部監督として

専門分野での功績に留まらず、鳥養氏はYS-11開発の多忙な時間を割いて本学体育会ヨット部の監督を務め、同部を関東完全優勝・全日本準優勝のレベルにまで育て上げられました。特筆すべきは、その過程で鳥養氏の指導・薫陶を受けた1960年代の本学各学部のヨット部出身者が、ある者は参議院議員に、ある者はブラジルの日系造船所副社長に、ある者は関東学院大学の経済学部長に、そしてまたある者は名門プレジャーボート会社の社長になるなど多くの逸材を輩出し、多方面の枢要なポストで活躍してきていることであります。教室外での活動で鳥養氏と交流を持つことができた多くの卒業生は、一様に彼と過ごした横浜国大での大学生活を自身の誇りとしております。この一端は。2008年の第三回ホームカミングデーでの同氏の講演でも触れられております。


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