中川 赳(なかがわ たけし)

1911年02月22日 - 1991年03月20日

経歴


国大化学会提供

1911年  2月22日東京府に出生
1931年  横浜高等工業学校(横浜国立大学の前身校の一つ)応用化学科卒業
 明治製糖株式会社入社
1939年  明治商店(後の明治商事)転勤
1945年  明治製菓株式会社転勤
1946年~  ペニシリン、ストレプトマイシン、カナマイシン等の抗生物質の開発・製造・販売
1960年  取締役就任(薬品部長、川崎工場製薬部長)
1967年  神奈川県知事薬事功労賞(県民の福祉増進に寄与)
1968年  専務取締役就任
1970年  代表取締役社長就任
1979年  大河内記念技術賞受賞(オリゼメートの開発等)
1981年  大河内記念技術賞受賞(ジベカシンの開発等)
 勲三等旭日中綬章受章
 1988年  代表取締役会長就任(~1991年3月)
1989年  勲二等瑞宝章受章
 紺綬褒章受章(社会に奉仕した活動)
1991年  3月20日 逝去(80歳)

 

 業績

医薬品関係における功績

戦後すぐの時期に“ペニシリン”製造を担当、昭和22年にタンク培養に切り替え全国需要量の40%を供給し抗生物質の主導的地位を築いた。昭和26年に結核治療薬”ストレプトマイシン“を、昭和33年に”カナマイシン“純国産技術により工業化に成功させた。その後も多くの抗生物質を開発し”抗生物質の明治“の地位を築いた。抗生物質の自由化に対応し、製造技術の研究開発に努め、国際競争力の推進を図った。独創的な抗生物質は米・英等の製薬会社との輸出増進を図り輸出振興に寄与した。アジアにおいては合弁会社を設立し、各国の国民医療に貢献した。

菓子関係・食品関係における業績

海外への技術輸出、生産拠点の設立等を実施し、菓子産業の優秀性を世界に知らしめた。これにより国内産業であった菓子業界は世界に向かって発展した。菓子の技術開発も積極的に行い、パイの高速機械による生産を成功させ、その技術を公開した。チョコレートにおいては、絶えざる技術開発・品質向上を図り世界市場のトップレベルまで引き上げた。
”ビフィズス菌“を使用した菓子の製造等は、医薬分野と食品分野の接近がなされた後に食品・医薬品ともに健康に奉仕する事業であるとの考えで、明治製菓の企業理念“医食同源”となった。

公職関係の功績

日本チョコレート・ココア協会会長として

菓子の貿易自由化によりチョコレート業界も打撃を受けると考え、設備の近代理化の必要性を痛感して、業界内に設備近代化研究会を発足させ、業界の近代化を進めた。

日本菓子協会の会長として

バラバラだった業界をまとめ、貿易摩擦、原料問題等に対処した。加工食品の表示・衛生対策・毒物混入防止法の成立に全力を傾けた。

食品産業界の指導者として

財団法人食品産業センター理事、食品産業中央協議会理事とし食品業界をリードして貿易自由化に対処した。

公正取引協議会役員として

前向きに規約の実施に取り組み、消費者に対する表示の適正を実施して、チョコレート製品の普及に努めた。

社団法人日本食品特許センター会長として

食品業界における工業所有権制度の適切な運営と普及に貢献した。

神奈川県薬事審議会委員として

県内の薬局開設・一般販売業の許可・更新、薬局開設の適正配置などの諮問事項につき調査審議を行い、薬事行政に寄与した。

財団法人日本抗生物質学術協議会評議委員(昭和26年~)、理事(昭和44年~)として

国内抗生物質の生産技術・品質向上に献身、学術研さんを通して、会員の資質向上・指導者育成に寄与した。

財団法人横浜工業会初代理事として

設立の準備代表として文部省(当時)、大学、卒業生,各界を取りまとめ短期日で 立ち上げ、初代理事長を務めた。

語録(勲三等旭日中綬受賞記念誌“調和”からその一部抜粋)

若人への助言 :「耐える」ことの訓練

自由社会の秩序を維持し、安心した社会生活を営むための基本条件として「相手の立場に立って考える」「迷惑をかけない」「義務を伴った権利意識」が必要である。
人生の長丁場においても「耐える」ことの訓練は不可欠であり、長期的展望に立ち、しっかりと自らの方向を見定め、努力と忍耐と自己啓発を惜しまず、着実に前進するよう期待する。

調和の精神

調和とは、力の統一・結集された姿であり、不調和は力の分散になる。調和は各分子のそれぞれの目的意識と自律的活動によってはじめて保たれ、生成発展していくものである。その進路は自ら決定し切り拓いていかなければならない。

”仕事に苦しみ、そして楽しめ“

仕事に対して積極的に日々新たな心境で当たることが必要。仕事に力を出し切るという事は、仕事を楽しむことになるのです。苦しんでこそ初めて楽しみがあるからです。

横浜高等工業学校での学び

当時の鈴木達治校長の方針で三無主義(無試験・無償罰・無採点)での教育で、自ら工夫、自ら創造する、自立、独立の精神を学び、理論だけのつめこみでなく、自ら実践することを重んじることを学んだ。先生の教育理念は今も校庭に“名教自然”の碑として残されている。


ページの先頭へ